小説のなかの歯科治療

 春から使用している部分入れ歯も馴染んできてはいる。近い将来反対側も治療することになるのかと思うと憂鬱になる。歯医者の治療はだれでもそうだろうが、大いに苦手だ。わが舌が口腔内で暴走しがちで、瞬間とはいえ治療器具の突端に衝突し痛みを味わう、その妄想に怯えてしまう。歯の治療の場面を描写したものとしては、一つは夏目漱石の『門』がある。歯痛に耐えかねて、主人公の宗助が、役所の勤務を終えての帰路、「とうとう思い切って、歯医者へ寄ったのである」。椅子に坐った宗助に「頭の薄くなり過ぎた肥った」歯医者は、その歯を揺すって見て「まあ癒らないと申し上げるより外に仕方が御座んせんな」。
……宗助は、そうですかといって、ただ肥った男のなすがままにして置いた。すると彼は器械をぐるぐる廻して宗助の歯の根へ穴を開け始めた。そうしてその中へ細長い針のようなものを刺し通しては、その先を嗅いでいたが、しまいに糸ほどな筋を引き出して、神経がこれだけ取れましたといいながら、それを宗助に見せてくれた。それから薬でその穴を埋めて、明日またいらっしゃいと注意を与えた。……(『門』岩波文庫版)
 まるでゲシュタポの拷問のようだ。痛そうだ。ところが痛い・苦痛などの表現はいっさいない。弟の学費・生活費捻出という家計上の難題で精神的に追いつめられているときに、この苦痛だ。ただ経過の描写のみであるからこそ、読者は、その痛みを〈身体的〉に実感するのである。さすがである。
 もう一つに、里見弴の短篇「毛小棒大(もうしょうぼうだい)」がある。58歳になる不動産屋北村良介所有のビル内に診療所を設けている、アメリカ帰りの歯科医保科欣造が、妻に先立たれた北村に対し、30以上も年下の吉川栄子という愛人と正式に結婚に至らせる話の展開。そのきっかけとなるのが、たまたま歯の治療に訪れた吉川栄子の歯に引っかかっていた1本の男性(北村良介)の白髪の発見であった。隠されたエロティシズムが如何様にも想像されて、面白い作品である。
……(※助手と)入れ変って、内側、外側、よく調べながら、「腫れてもいないし、……いつ頃から痛みだしたの? ……今朝?」
 首を横に振った。
「昨日あたり?」
 頷いた。
「ふーん」
 その、小臼歯の周りを、消息子(しょうそくし)で、あちこち索(さぐ)っているうちに、何か、灰色の、細いものが、ちょこっと頭を出した。ピンセットで抜き取ると、ほんの三四分ばかりのものだった。そろそろ近視へ遠視も並発してくる年齢で、細かいものは、眼鏡を持ちあげて見る方がよかった。——そうしながら、ふた足み足窓際へ歩みよって、
「魚の小骨らしい。なんか、鯵(あじ)かなんか、小魚を食べたね?」
 含嗽(うがい)をしていて、別に返事はなかった。
 そのまま捨てかけたが、ふと、左の指先で摘まみ、折るようにすると、いくらでも撓(しな)う弾力性があった。「おや? こりゃア骨じゃアない。毛らしい。……歯ブラシの毛かな?」
 丁度、手近に顕微鏡のオペクト・グラスがあったので、それへなすりつけて置いて、
「どう? 癒(なお)ったでしょう?」……⦅「毛小棒大」『里見とん短篇選集』(中公文庫)所収⦆
 この後保科医師は顕微鏡で、件のものが「太く逞しい男性の白髪」であることを突き止めるのだ。
 解説の小谷野敦氏は、この作品は「虚構だろうが、里見の作品には、こういう色気のあるものが多い。自然主義的な暴露趣味と、鏡花譲りの文章の藝とが混じり合っている」と述べている。
 ※(歯科用)消息子:歯瘻、その他の小さい開口部から挿入して、その中の状態を調べるための医療器具。