定家葛と身はなりて

⦅定家葛:小川匡夫氏(全日写連)撮影⦆
 能の『定家』は、1983(昭和58)年12/1(木)、国立能楽堂にて鑑賞している。「能楽鑑賞の会」の第44回公演の演目。演者は、シテ(前・所の女、後・式子内親王宝生流松本恵雄、ワキ(旅の僧)下掛宝生流森茂好、アイ(所の男)狂言方大蔵流茂山千之丞であった。
 http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0333.html(「能『定家』の物語」)
【上演詞章(作成:西野春雄)】から
〈クリ〉忘れぬものをいにしへの、心の奥の信夫山、忍びて通ふ道芝の、露の世語りよしぞなき。※クリ:導入歌の役割をもつ小段。
〈サシ〉シテ今は玉の緒よ絶えなば絶えながらへば 忍ぶることの弱るなる、心の秋の花薄、穂に出で初めし契りとて、またかれがれの中となりて シテ昔はものを思はざりし 後の心ぞ果てしもなき ※サシ:クセの前の小段。
〈クセ〉あはれ知れ、霜より霜に朽ち果てて、世々にふりにし山藍の、袖の涙の身の昔、憂き恋せじと禊(みそぎ)せし、賀茂の斎(いつき)の院(みや)にしも、そなはり給ふ身なれども、神や受けずもなりにけん、人の契りの色に出でけるぞ悲しき。包むとすれどあだし世の、あだなる中の名は洩れて、よその聞こえは大方の、そら恐ろしき日の光、雲の–通ひ路絶え果てて、少女(おとめ)の姿留め得ぬ、心ぞつらきもろともに。 シテげにや嘆くとも、恋ふとも逢はん道やなき  地君葛城の峰の雲と、詠じけん心まで、思へばかかる執心の、定家葛と身はなりて、この–おん跡にいつとなく、離れもやらで蔦もみぢの、色焦がれまとはり、おどろ(※乱れていること)の髪も結ぼほれ、露霜に消え返る、妄執を助け給へや。※クセ:曲の中心的な部分となる小段。