わがワーグナー体験


 ジュゼッペ・ヴェルディリヒャルト・ワーグナーはともに1813年10/10生まれなので、本年は生誕200年にあたるということである。当然いろいろ企画もあるようだ。競馬で万馬券でも的中できたら、どれか行ってみようか。ヴェルディの『アイーダ』は、昔ローマのカラカラ帝浴場跡広場での夏の公演および、国立代々木競技場第一体育館でのアレーナ・ディ・ヴェローナ音楽祭の引っ越し公演(1989年)を鑑賞している(パンフレット見つかりしだい画像公開)。またミラノ・スカラ座の来日公演(1981年9月)で、『シモン・ボッカネグラ』(於東京文化会館大ホール)を鑑賞している。
 ワーグナーのオペラも、聴くだけの耳をもたないのであくまでも演劇ファンとして鑑賞している。舞台の仕掛けを観るだけでも胸わくわくし、楽しめるのである。観たのは4公演ほど。

 はじめてのワーグナーオペラの鑑賞は、1983年5/8、「ベルリン歌劇場」の『タンホイザー』。エアハルト・フィッシャー演出で、第1幕第1場のヴェーヌス山内側の荒々しく踊るバッカスの巫女らの淫靡さは際立っていたが、日本公演では薄いシースルーの衣装を身にまとわせたのは残念(?)であった。



 次は、「ウィーン国立歌劇場」の来日公演、1986年4/10、NHKホールでの、『トリスタンとイゾルデ』。演出は、アウグスト・エファーディンク。第1幕の大きな帆船の舞台装置がよく記憶に残っている。この物語の構造については、江藤淳著『小林秀雄』(講談社)の巻末参考書一覧にあげられている、ドニ・ド・ルージュモン(Rougemont)の『愛について—エロスとアガペ』(岩波書店鈴木健郎・川村克己訳)で、大いに関心をもっていたものである。ルージュモンは、同書で「ヨーロッパには一つの偉大な姦淫の神話がある」とし、それが『トリスタンとイズー(=イゾルデ)』の物語であると述べている。
……たとえば科学の真理を表明するのに、われわれは神話を必要としない。事実、われわれは科学の真理を、宗教とはまったく無縁のものとして眺めるから、これはあらゆる意味で、個々の批判にたえる力をもつのである。しかし、情熱は死につながり、すべてを捧げて情熱に惑溺するものは破滅にみちびかれるという、告白すべからざる暗い事実を表現するために、われわれは神話を必要とするのである。……(同書p.21)
 二人の愛に関する分析は、いまでこそそれほど知的興奮を与えまい。
……トリスタンは金髪のイズーを愛するよりも、愛している自分の心を感じることを好む。またイズーの方も、トリスタンをそばに引き留めておこうという努力をすこしもしない。彼女にとっては、情熱的な夢だけで充分なのである。二人は燃えるために相手を必要とするが、それは、現実にあるがままの相手でもなく、また、眼のまえにいる相手でもない。それはむしろ不在の相手である!……(同書pp.47~48)

 3番目が、「ベルリン国立歌劇場」の来日公演、1987年3/28、NHKホールでの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』。演出は、ヴェルナー・ケルヒ。歌合戦の場は感動した。

 4番目が、「ベルリン・ドイツ・オペラ」の来日公演、1987年10/17、神奈川県民ホールでの『ラインの黄金(《ニーベルングの指環》序夜)』。横浜駅から会場に行くのに走った記憶がある。舞台監督は、コーネル・フランツ&フリードマン・シュタイナー。『神々の黄昏(《ニーベルングの指環》第3日)』も鑑賞したかったが、財政的に無理であった。いまWOWOWで、メトロポリタン・オペラの『ニーベルングの指環』4部作を連続放送しているが、炬燵にもぐってオペラ鑑賞というのもどうだろうか。『CSIニューヨーク』新放送は待っても、そちらは観ていない。今晩少し覗いてみるかも。
 http://www.wowow.co.jp/pg_info/wk_new/007309.php(「WOWOWメトロポリタン・オペラ」)