尾木ママの学校教育論は概ね妥当

 
 教育評論家尾木直樹氏=尾木ママの『教師格差』(角川oneテーマ21)は、2007年初版刊行で、安倍政権下での諮問機関「教育再生会議」の提言に対する建設的批判を中心にした内容であるため、当然世界的経済危機以降の展開およびデータについて触れられていないものの、議論の骨子は有効である.
 学校の教育力を教師個々の能力・努力のみに求めるべきではなく、同僚性と協同性に支えられた学校力として考えるべきであることと、学校教育の目的をたんなる学力の養成に限定せず学力も含めた「生きる力」の涵養におくべきであること、さらに、学校活動の主役は生徒・子どもであることを忘れないこと、などがくり返し強調されている.大学院へ行ったところで教育力が身につくわけではないとか、学校教師と塾講師とでは期待される役割が違うとか、企業で通用する成果主義的評価システムがそのまま学校教師の仕事の評価に適用できないとかの指摘も、これらの基本認識と関係する問題として論じられている。
 小・中学校の教育に関しては、とくに新奇なところはないが、現場経験者からみても妥当な見解であろう.しかし高等学校とくに学力レベルの高い学校の教育にあてはめるには、物足りない議論といえる.
 いじめをめぐる考察は参考になろう。2006年〜の「いじめの急増現象」の特性は、1)量的拡大、2)高学年化、3)IT化、4)いじめ自殺連鎖、5)いじめの隠蔽などが挙げられるそうである.その原因は二つ考えられる.かつて(1985年〜 1993年)のいじめの定義(弱者に対しての一方的攻撃である、身体的・心理的な攻撃が継続的である、相手が深刻な苦痛を感じている、学校が確認しているなど)が、いまだに現場における判断を鈍化させていること、そして成果主義の評価システムの導入が、自己評価を下げたくないために「教師一人ひとりが、なるべくいじめの存在を認めたくない心理」に追い込んでいること、の二つであるという。なるほど首肯できる指摘である.悪質ないじめの中心的加害者には、行為を犯罪として捉え、それに対する厳罰も必要であろう.この問題に、ドストエフスキーやらニーチェやらもち出して、いかにも〈深い〉似非哲学的議論を弄ぶなど論外、相手にすることはなかろう。
……子どもにとって楽しい学校、毎朝起きると、早く行きたいなと思える学校をつくることが最大の課題です.数値的な学力を上げればいじめがなくなるということは、決してありえません。
 その意味でこそ、教師の役割を見直していかなければならず、本来の姿を取り戻し、教師が自信を持てる環境を整備していかなければならないのです.……
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20110826/1314335396(「学校教育の成果」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20120331/1333186711(「現代学校教育への提言」)
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20121005/1349402758(「日本は高校教育まではよい」)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、上スイートアリッサム(Sweet Alyssum)、下バラの鉢。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆