「巻絹」鑑賞


 8/7(火)夜は、東京台東区浅草公会堂にて、『第33回台東薪能・台東蝋燭能』を鑑賞した。かつて観音様境内で催されてきた薪能を、舞台を浅草公会堂に移して「蝋燭能」としたものであるとのこと。番組は、能「巻絹」、狂言「仏師」、休憩中の火入れ後、蝋燭能「船辨慶」。じつは、深夜のロンドンオリンピック男子サッカー準決勝の対メキシコ戦中継を観るため、最後の蝋燭能を観ないで公会堂を出てしまった。「葵丸進」で天丼(シジミ汁付)を食べ、浅草橋経由で帰宅。ワインを呑みつつ待機、TV観戦した。むろん名古屋グランパスの永井選手と、同出身の吉田選手をとくに応援。結果は残念、完敗であった。
 演目の前に、新門鳶頭連中による舞台浄めの儀が行われた。木遣りの喉には感心したが、いかにも長かった。
「巻絹」は、「神楽留」の小書きあり、後半のイロエおよびそれへの接続の「直リ」なしの特殊演出ということだ。事前に、船橋K会で面識のある桝井論平氏の司会で、能楽評論家の山崎有一郎氏の演目の解説があり、ありがたかった。
 ワキ(帝の勅使)=舘田善博がアイ(従者)=山本泰太郎とともに現われ、ツレ(都の男)=古川充からの三熊野に奉納すべき巻絹が未だ届いていない旨述べられる。都の男は、途中の音無天神に和歌を手向けて遅れてしまったのだ。日限に遅れた都の男は、勅使の命で従者に縛られてしまう。そこへ、シテ(神が憑依した巫女)=坂(ばん)真太郎が登場、都の男に上の句「音無にかつ咲きそむる梅の花」を詠ませ、下の句「匂はざりせば誰か知るべき」と付け、都の男の遅刻の理由を明らかにして、縄を解かせる。巫女は、幣付の白梅枝を捧げて祝詞を上げ、神楽を奏する。神楽舞の後橋懸かりにこの幣付の白梅枝をすてて、曲が終了。あらかじめ用意しておいた詞章をよく読んでおかなかったので、聞き取れないことばが多かったが、最後まで〈覚醒〉して鑑賞。舞のなかで、幣付の白梅枝を扱う右手と左手が必ずしも同じ所作でないらしいことに興味を覚えた。
 http://homepage1.nifty.com/WAKOGENJI/nohgaku/noh-makiginu.html(『「巻絹」:詞章と現代語訳』)

 シテの坂(ばん)真太郎さんは、都立上野高校東京藝術大学卒業の台東区下町育ちの能楽師、大いに親しみを覚える。11月には、千駄ヶ谷国立能楽堂で「野宮」を演じるとのことである。