現代小説

 評論中心の文藝同人誌『群系』第29号(群系の会)が送られてきた。こちらも何となく会員(購読料支払い)となっている。さっそく目次を開けたところ、「われらの時代」特集と銘打って、現代作家の作品についての論考が並んでいる。ほとんど読んだことのない作品ばかりで、頁を閉じようとしたところ、安宅夏夫氏の「安部公房砂の女』と伊藤人誉、花田清輝」の題名が眼に留まった。安部公房の『砂の女』が、伊藤人誉の「穴の底」の花田清輝による紹介を経由して書かれたものであることを知ることができた。この「穴の底」は、『人譽幻談・幻の猫』(亀鳴屋)に収録されていて、「書肆亀鳴屋から刊行された伊藤人誉の最後の一冊を多くの人に勧めたい」と、安宅氏は述べている。514部の限定制作で、こちらの所蔵は、314番のフランス装普及本である。

 ところで比較文学者・作家の小谷野敦(とん)氏は、『21世紀の落語入門』(幻冬舎新書)で、「藝術のいかなるジャンルも、全盛期を過ぎると、新しい作品が前の時代を超えることは難しくなる」とし、「西洋にしても、ヘンリー・ジェイムズプルーストが最後の巨匠で、第二次大戦後は、実はさしたる作家や作品を出してはいない」と述べている。
……こういうことは、最晩年の中村真一郎も言っていたし、もっと前、一九六〇年代に川端康成も言っていた。ただ、戦後日本でも、大江健三郎だけは一流だと思っているが、そのくらいの例外はある。もっとも、そんな風に思っているなら、お前はなんで小説を書いているのだと思う人がいるかもしれないが、それは何も一流でなくてもいいと思っているからである。
 さて、こうした状況は、鑑賞する側からすると大した問題ではなく、今の純文学がつまらないと思えば、古典的名作を読んでいればいいわけだ。しかし、売る側としては、現代の作家をもっと売りたい。そこで、美人作家作戦とか、いろいろ宣伝を考えるわけである。……(同書p.59)
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の玄関先で羽を休める、赤とんぼ(アカネ)のノシメトンボ。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆