グルジアで思い出すこと

 この大相撲秋場所で活躍した臥牙丸 関の出身地であるグルジアについては、その自然地理上および文化地理上の知識がほとんどないが、かつて観た映画と演劇のことは思い出される。映画は、グルジアがまだソ連邦から独立していない時代の作品で、監督はどちらも1924年生まれのテンギス・アブラーゼ(Tengiz Abuladze)とセルゲイ・パラジャーノフ(Sergei Parajanov)の二人。ただし、パラジャーノフは生まれはグルジアトビリシでも、両親はアルメニア人である。

 アブラーゼ監督の作品は、「希望の樹(Drevo Zhelaniya)」、神保町の岩波ホールで観ている。 「希望の樹」は、革命前のグルジアコーカサス地方が物語の舞台。母を亡くし、祖母のいる村にやって来た美しい娘マリタが、村一番の金持ちとの無理矢理の結婚を強いられ、恋人ゲディアと引き離されてしまう。ある雨の日、戻って来たゲディアと秘かに愛をたしかめあっているところを、夫の母親に目撃されてしまい、村の因襲により、ロバに後ろ向きに乗せられて引き回しの刑を受ける。救いに駆けつけたゲディアは、撃たれて倒れ、後を追うようにマリタも息絶える。終幕で、それからだいぶ経ち、すでに廃墟となったマリタの暮らした家を映し、ナレーション、「ただ…、昔、かまどがあった所に—ザクロの花が赤く燃えるようだった。私の目に咲いたばかりのザクロの花の—微笑みがまぶしかった、マリタのように…」/ザクロの花が、風に揺れている。/開きかけの真紅の花。/「その真紅の花を見ていると、マリタの死が信じ難い気がした。こんなホコリだらけの所に—美しい花が咲いたのも不思議に思えた。美というものはどこから来るのだろう?」/まだ緑を帯びないアザミ。/「美は、どこへ帰っていくのか? 戯れに姿を隠すのか? 誰も知るまい」
 中国映画の名作、張芸謀チャン・イーモウ)監督「菊豆(チュイトウ)」と重なるところのある作品だ。マリタを演じたリカ・カヴジャラーゼの清らかさと痛ましさが、印象に残った映画であった。

 パラジャーノフの作品は、京橋シネセゾンでの「パラジャーノフ祭」の上映3作品「ざくろの色」、「アシク・ケリブ」、「スラム砦の伝説」中の2作品、「ざくろの色」と「アシク・ケリブ」をたしか観ているのではないか。「たしか」とするのは、だいたい上映中居眠りの連続で、動く絵画と評されるパラジャーノフの映像の鮮明な記憶がないからである。『「動き」と色の魔法使い』としてこの映像作家を激賞している蓮實重彦氏も「『スラム砦の伝説』を3回見て、3回とも眠ってしまいました」と述べ、それはつまらないからではなく、すーっと眠りに引きこまれてしまい「何とも快い」(上映パンフレット)のだそうである。

 演劇は、ソ連邦グルジア共和国「国立グルジア劇場」の公演で、3作品中、「心中天網島・三幕の劇詩」を、1991年4月東京パルコ劇場で観劇。演出は、メデェア・クチュヒゼ。すでにトビリシで同演出のこの舞台を観ていた三代目中村鴈治郎丈は、「有名な治兵衛の述懐のくだりなど、歌舞伎で私が演じているのと同じ寸法で、ぴったり間が合うのです。/日本とグルジアと、まったく人種が違うのに、原作の良さを生かし、東洋的な心理をつかんでいるのにびっくりしたものです」と称賛している。こちらとしては、シンプルな舞台装置と登場人物の黒装束が印象に残っているのみである。
⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町公園のヒガンバナ彼岸花曼珠沙華)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆