仲正昌樹教授に学ぶ(2)&付録

『日本とドイツ 二つの戦後思想』(光文社新書)は、新書ながら読みごたえがある。ドイツでポストモダンのメディア論を展開し、近代理性主義の延長上で考えてきたハーバーマス以降の現代思想を代表する一人らしいヨッヘン・ヘーリッシュの下で1年間研究してきた、ドイツ思想史の研究者による日独比較現代思想史である。「戦後責任」、「ネーション」、「マルクス主義」、「ポストモダン」の四つの論点について、日本とドイツの環境、思想史的文脈などの違いから、課題の共通性ととともにどのような異質性が発生してきたかを分析している。
 国家の戦後を構想する上で、国益のことを考慮しない立場はあり得ない。
『左派の人たちは、戦後の(西)ドイツが西側陣営内での対外的評価を最大限に意識しつつ、自らの担うべき補償責任の範囲を可能な限り限定しようとしてきたという、極めて明白であるはずの事実をなかなか認めようとしない。「国益」を考えないで、反省の気持ちや博愛の精神だけで外交をやっている「国家」があるはずがない。政治学を専門にしている人なら、そういうことは十分分かっているはずなのだが、公の場では、それをストレートにしない傾向がある。』
 ニュルンベルクと東京に設置された連合国による「国際軍事裁判」の正当性に関して、現代日本においても論議があるが、仲正昌樹氏は、裁く「法」が事後的に作られたという点で問題は残すとしても、そこで作られた「法」が日本とドイツの戦後の「民主化」と「政治的安定化」をもたらすポジティブな機能をはたしたことを評価し、力による正義の押し付けであったとの批判に対しては、いかなる国内法体系の成立においても権力(=勝者)による強制という性格をもっているのであり、国際軍事裁判との相違は程度の差でしかないと捉える。なるほどそういう理解もあるのかと感心させられた。しかしこの見方には「保守派」は納得しないであろう。ここで裁かれるべき犯罪として1平和に対する罪(=戦争を起こしたことの罪)、2戦争犯罪(=戦闘中の戦時国際法違反の罪)、3人道に対する罪(=非人間的行為を計画的に実行した罪)が規定された。アデナウアードイツ連邦共和国初代首相以来、「ナチスの不法=人道に対する罪」の犠牲者に対する補償という課題が、ドイツ史の節目節目において確認されてきたのと比べると、極東軍事裁判所では日本の戦犯は包括的に責任を問われ、日本においては、対外的にこの「人道に対する罪」を国家として受け入れたのかどうかが最初から曖昧であった。(多くの死者を出している「薬害エイズ」発症に関わったとされる緑十字の創設者N元軍医中佐は、捕虜の人体実験をしたとされる七三一部隊の元幹部だったという。驚きだ。)
 そのため、「人道に対する罪」に関しては、刑法の面でも国家補償の面でも特別の例外措置を取ってきたドイツに対して、日本では、後になって「人道に対する罪」に相当するかもしれない事例が指摘されても、実行者に対する責任追及も、国家補償もなされないという状態が続いている。
 国民の戦争責任に関しては、カール・ヤスパースの議論がドイツにおける基本的枠組みとなっているそうである。ヤスパースは、国民を塊としてとらえ抽象的に責任を論ずるのではなく、国民を構成する各個人がそれぞれ異なった仕方で、異なった重さで負っているはずの罪の責任を主体的に問うベきことを提唱しているのである。それは、1刑法上の罪、2政治上の罪、3道徳上の罪(=個々人が良心の呵責を感じさせられるような罪)、4形而上学的な罪(=究極的にはキリスト教の原罪論にまで繋がる、個々人の行動を超えた、人間として何もできなかったことに対する後ろめたさ)の四つである。日本ではヤスパースは不在であり、広島・長崎の原爆被害者であったという立場の現実性から、国民の戦争責任という問題意識が希薄となった。
アジア諸国に対する加害者性を、“戦争責任”論の焦点から外してしまう傾向に関しては、国家としての戦争責任をそもそも認めたくない保守派と、一般国民の責任をあまり強調したくない革新派がひそかに協働する図式が成立していたわけである。』
 国のかたちをめぐっては、地続きのヨーロッパの中で自国(西ドイツ)を位置づけ責任を引き受けなければならなかった、そしてドイツ語文化を共有する共同体即ドイツ国民国家ではあり得なかったドイツと、大日本帝国憲法体制から日本国憲法体制へと移行し、日本語文化を共有する民族共同体即国民国家の成立する日本とでは、事情が大いに異なっていた。
『大多数の日本国民にとって、「日本人であるとはどういうことか」という問いは、ほとんどリアリティのない“高尚な議論”でしかなかったが、かなり不安定な政治的環境の中に置かれた“ドイツ国民”にとっては、「ドイツ人であるとはどういうことか」というのは、自らの政治的・文化的アイデンティティに関わるリアルな問いであった。』
 ナチズムの成立が、市民革命を欠いたドイツ近代化の特有な歩みによるものと考えるべきか、それとも一時的な歴史現象とみなすべきか論争が続いているそうである。さらに日本と同様ドイツにおいても近年ポストモダンの立場から、「市民社会=近代化」自体を無条件に肯定しない議論も出ているそうだ。
『しかし、「市民社会」のモデルを隣国や“自らの歴史のある局面”の内に持っていて、それとの同化の可能性を一応具体的な政治・経済の問題に即して考えてきたドイツと、もともとあまり具体性がないユートピア—〈utopia〉の語源になったギリシア語の〈utopos〉は、特定の「場所=topos」がない(u-)ことを意味する—的な観念でしかなかった日本では、同じような論旨の批判でもリアリティはかなり異なるように思われる。』
 人間としての普遍性を内面化・身体化しようとしないで、現在の自分が刹那的に必要とする情報とのみ、その場その場で戯れている、「動物化」(東浩紀氏)したオタクたちの出現も、日本ではそれほどの抵抗なく受け入れられたが、ドイツでは、消費資本主義の成立とインターネットの普及を背景にしたポストモダンの議論も、「人文主義的教養知識人の権化のような存在」のハーバーマスのような知識人からの猛批判を浴びている。
『あまり生産的な“論争”ではなかったが、東の「動物化」テーゼを、“最近の若い者が考えている面白い話”としてそれほど抵抗なく受け止めてしまう日本と、動物性/人間性の境界線に哲学的に執拗に拘らざるを得ないドイツでは、活字文化の信頼性に差があることだけは改めて確認されたような気がする。』
【付録】ファッション雑誌では、ファッショングッズの付録のほうが魅力的らしい。
  http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-entry-2152.html(「郵便学者のブログ」) 

日本とドイツ 二つの戦後思想 (光文社新書)

日本とドイツ 二つの戦後思想 (光文社新書)

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のテイカカズラ(定家葛)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆