〈少女〉写真のエロス

 6/17(金)東京千代田区の「神保町画廊」で村田兼一写真展「少女に棲む魔法」を観たあと、「Amazon.com」で発注していた、村田兼一写真集『NAKED -PRINCESS』(EDITION REUSS)が届いた。この写真家については、『JAPANESE PRINCESS』(同社)以来2冊目の写真集を入手したことになる。少女写真といえば、多くが、ルイス・キャロル(チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン)の趣味で撮られた写真を思い浮かべるだろうが、その被写体としての対象は、9〜10歳の少女たちである。


「写真と少女には奇妙な親和力がある。互いに互いを引き寄せていくというべきだろうか」(「写真・少女・コレクション」:『少女論』所収:青弓社)と、写真評論家の飯沢耕太郎氏は述べているが、村田兼一の撮る被写体は、少女の身体を残した若い女性、もしくは(演じられた)少女っぽい女性であろう。しかし〈少女〉たちが臆することなく性器&尻の穴まで曝した写真集は、当然国内では上梓され得ない。
飯沢耕太郎『危ない写真集246』ステュディオ・パラポリカ)
(男性写真家による)EROTIC PHOTOGRAPHYとしては、(国内では)アラーキー、池尻清、豊浦正明などの系譜があり、舞台設定および小物の扱いなどに重なるものを感じさせるとともに、その過激さにおいて、村田兼一の写真も遜色がない。PISSING(放尿)の写真もあり、池尻清、そして本家(?)フランスのジル・ベルケ(Gilles Berquet)の写真作品に連なる。(かつてジル・ベルケの写真は、東京乃木坂の蕎麦屋地下の画廊ではじめて出会い、衝撃を受けた記憶がある。その後、曙橋の店で、当時パリでも入手困難とされた、黒函入り限定200冊の署名入り写真集を購入。池尻清の写真は、東京四谷の写真画廊でオリジナルプリントを購入している。)
(ジル・ベルケ限定200冊写真集)
(池尻清オリジナルプリント
林静一版画:わが居間の壁に掛かる)
(宮トオル画集『白月夜』)
 いっぽうで村田兼一の写真作品は、林静一や宮トオルの絵画の系譜にも連なるところがあるだろう。画集『白月夜』(河出書房新社)の序文で、栗田勇氏が書いている。
『たしかに、一人の少女だけを生涯のテーマとすることは一見むつかしいようにみえる。
 しかし、人類の起源いらい、聖処女信仰、つまり、聖なるものの化身としての童女への憧憬は深い。なぜなら、童女は、女であるということに於いて、人間の性による未来を象徴すると同時に、現実の女からは限りなく遠いからだ。
 一方、熟れた性欲と情感をたたえた成熟した女体は、これまた、俗なるもののうちの最も、わいざつなるのっぴきならない人間のむき出しの現実である。
 熟れた女体を持つ童女、いわゆるロリータの底知れぬ魔力とは、この聖と俗、崇高と卑わいが分かちがたい一体のものとして、そこに存在することの衝撃的な不可思議である。この魔力に抗することはむつかしい。』
 村田兼一の写真も、この聖と俗、崇高と卑わい(卑猥)の相克がもたらす美的陶酔を味わうことができるのだ。ただ仕掛けと表現のマンネリ化をどう打開・克服していくのか、その展開に今後も注目したい。