胡蝶のように

(初夏の花々:小川匡夫氏撮影。)
◆昨年の夏は、酷暑のなか東大寺大仏殿に参詣、大仏の傍左右に置かれてある大きな花瓶を飾る八本脚の蝶に魅せられた。来年のNHK大河ドラマの主人公は、平清盛であるそうだ。荒俣宏氏著『世界大博物図鑑1〔蟲類〕』(平凡社)によれば、「日本では、チョウは文様に描かれるデザインとして人気があった。それらは、〈蝶紋〉とよばれ、俗に平家の代表紋とされる。飛んでいる形を〈胡蝶〉(または〈飛蝶〉)、止まった形を〈揚羽蝶〉(または〈止蝶〉)と称し、平家の出を名乗る江戸時代の武家が好んで用いた」(p.326)とある。八本の脚も、突然変異の対象をそのまま写しとったというよりは、デザイン性からきているのだろうか。


◆◆古代ギリシアでは、魂の意味のプシューケー(Psyche)は、その象徴である蝶をも指したらしい。固有名詞としてのプシケ(orプシュケ)の物語を、ローマの作家アプレイウス作『黄金のロバ』(巻四・巻五・巻六)で読むことができる。恥ずかしながら、高津春繁著『ギリシアローマ神話辞典』(岩波書店)でその慷概を知るのみであったが、岩波文庫が自宅で見つからなかったため、呉茂一・国原吉之助訳の電子ブックを購入し、さっそくプシケとクピド(エロース)の恋の物語を堪能。みずからの美貌を誇る母親のウェヌスアプロディーテー)が、息子クピドの恋の相手が、美少女プシケとわかって逆上するところなど、現代でもあり得ることでじつに愉快である。
……そこでウェヌスはすっかり腹を立てて、急に叫び立てました。「じゃあもうあの私の立派な息子はいい女(ひと)があるのだね、さ、言っとくれ、私に心から仕えてくれるのはお前だけなのだから、その女の名は何ていうの。まだほんの生(き)のままの元服もしてない子供を唆(そその)かすなんて。ニンフたちの一人かそれとも季節の精(ホーラエ)たちか、楽女(ムウサ)の歌舞団(コロス)のなかまか、それとも美の精(グラティアエ)のうちの女かえ」するとそのお喋り鳥が黙ってればいいものを、「存じません、奥様、でも私の聞き覚えが本当なら、プシケとかいう名の少女に、死ぬほど焦れておいでの模様です」
 そこでまあウェヌスは大変憤って一層声をはり上げて叫びました。「プシケをだって! まああの私と容色(きりょう)争いをして、名前を競(せ)り合ってる女を、本気であの子が好きになったというのかい。もともと私があいつを引き合わせてやったというのに」〔巻五ー二八〕
 しかしこの物語においては、プシケはまだ蝶の羽を背中に着けてはいない。後に画家たちが、魂の象徴としての蝶を身にまとわせたもののようである。 
◆◆◆山田美妙の短篇歴史小説『胡蝶』の挿絵、花鳥画で知られた渡辺省亭(せいてい:1852〜1918)の描いた裸の胡蝶(ヒロインの名)像は、「日本で初めて女性のヌードがあらわれた挿絵としてつとに有名」だそうで、この雑誌は発禁処分を受けている。「なお、渡辺省亭の挿絵には、胡蝶という名の連想としてアゲハチョウが描かれている。裸女の妖美さをアゲハチョウによって象徴させた実例といえよう」(荒俣宏前掲書p.335)。

◆◆◆◆昨日5/23は、エドワード・ノートンローレンツ (Edward Norton Lorenz)の生誕の日(1917・5/23〜2008・4/16)だそうだ。「Wikipedia」によれば、「ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こす」あるいは、「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」、さらに「アマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる」などと表現される、「通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象のことを指す」カオス理論を示した「バタフライ効果(butterfly effect)」を提唱した気象学者であるとのこと。アメリカでは、竜巻によって多くの犠牲者が出たらしい。まさかわが家の庭に飛んで来たクロアゲハの羽ばたきが原因か、などという不謹慎な想像は控えよう。 

⦅写真(解像度20%)は、東京都台東区下町民家のホタルブクロ(蛍袋)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆