倫理トレーニング

 マイケル・サンデル(Michael J.Sandel)教授の『これから「正義」の話をしよう』(春秋社)が、NHK放送の効果もあってだろう、電子媒体経由を含めてだいぶ読まれているようである.春秋社サイトからダウンロードした同書第1章さえ完読していないが、知的姿勢と教育スタイルについては想像できるところである.大学における授業・講義とは、本来がこのような問題の投げかけと応答、および議論で構成されるはずのものであろう.
 かつてアンソニー・ウエストン(Anthony Weston)教授の『ここからはじまる倫理』(春秋社)が、野矢茂樹氏ほか訳で上梓されたときは、それほどジャーナリズムでは話題にならなかったかと記憶している.同書に関して、わがHPでreviewを書いたことがあるので、再録しておきたい.

◆アンソニー・ウェストン(Anthony Weston)著、野矢茂樹東京大学教授他訳の『ここからはじまる倫理(原題・A Practical Companion to Ethics)』(春秋社)は、これまでの日本の正統的な倫理学のテキストに比べて刺激的で格段に面白い。「道徳的相対主義」についての議論では、「人は人で、どう考えどう選択しようと放っとけばよいではないか」として対話や発展的思考を拒絶しがちな若者の姿勢を突き崩すだけの説得力をもっているとはいい難いが、全体として学べるところが多い。現実の生活や経験を踏まえた思考を求め、倫理の問題を創造的に考察しようと促している知的態度に共感を感じる。「倫理を実生活にかみあわせる—そして倫理をもっと機能させる—、その技術と心構えを分かりやすく手短に提示する」のがこの本の狙いなのである。
 権威として従うことを強いる社会規範、伝統、権力の命令、宗教的権威などについても、それらは絶対的なものではなく、自分で考えて判断することを求める。ここでの具体的事例が見事である。1968年ヴェトナムのソンミ村で米軍による村民虐殺が行われたが、このとき上官の命令に背いた狙撃兵も実在した。この場合どうするべきなのか? 「汝の隣人を愛せ」というが、第2次大戦中の占領下のパリで、養母とともにパリにとどまるか、それともイギリスにわたって戦いに参加するべきなのか、サルトルは「愛すべき隣人」とは誰か苦悩した。一般的規範など、個別の状況を前にしては権威であり得ないのである。また宗教的権威に関しても、同性愛を罪とする『旧約聖書』「創世記」のソドムの物語の場合、本当に神は同性愛を理由として町を滅ぼしたのかどうか、一つの解釈では納まらない、ということがある。
 第3章「創造的に問題を解決する」のところは、野矢氏も「あとがき」で述べているように、従来の倫理学の発想にはない斬新な提言である。倫理学でよく知られた「ハインツのジレンマ」を例にとって論じている。がんで死にかけている妻のために、とても高額で代価を支払えない新薬を入手する目的で、それを開発した薬剤師の薬局に盗みに入ったハインツの行動をどう考えるべきかというジレンマだ。
 選択肢を二つに狭めてしまうと、議論が発展しない。代価を金銭ではなく、ハインツが持っているかもしれない技術で替えられなかったのか。公的な援助や慈善団体に頼れなかったか。新聞紙上で訴えて募金はできなかったか。薬剤師の発明の成果を宣伝できる機会として、彼を説得できなくはなかったのではないか。等々。たしかに現実の人生では、我々はそのように考え選択しているはずである。倫理の思考訓練を観念の遊戯に陥らせないための有効な提言である。第4章「二極化してはいけない」とつづいて、アンソニー・ウェストンは、倫理的問題を現実に解決可能な方向で創造的に考えていこうと促している。大いに勉強になった。しかし例えば「所有」と関わらせて「盗み」の問題を原理的かつ思想史的に考察することも、またたいせつな学習課題であろう。(2005年4/6記)

ここからはじまる倫理

ここからはじまる倫理

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のマリーゴールド(Marigold)。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆