小説作品中の植物名

 1930年生まれの作家千田佳代の『猫ヲ祭ル』(作品社)は、第6回小島信夫文学賞を受賞。傘寿を迎えての受賞は、快挙であり、同じ道をたどるはるかな後輩として励みになることである.千田さんには、昔どこかで、たぶん雀荘でお会いし、お手合わせいただいていると記憶している.さっそくネット購入して読んでみる.達意の筆による猫との交流の物語であるが、俳句の活動をしていることもあってだろう、作品中花もしくは植物の名が多く挙げられていて、あまり知らないものなど並べられるとイメージが湧きにくい.こちらが無知なのである.
『南は親猫が車禍にあった公道だが、それに沿った塀の上には、プランターがうまく取りつけられていて、パンジーが終わるとマーガレットに、という具合に、いつも草花が咲いていた.玄関に向う水色塗料のマンションの西側は、さすがに小石が敷きつめてあったが、中程の玄関から北にむかう道には葉蘭、茗荷、雪の下、そして北側はカボックの鉢が六つ並び、東は塀の上にやはりプランターが置かれて、香草が見事に盛り上がっている.ペパーミント、カモミールレモンバーム、バジル、ルッコリ、紫蘇、三つ葉、その他だった.』(原文のママ・同書p.29)
 昨年は、亀山郁夫訳の『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳)および江川卓訳『悪霊』(新潮文庫)をじつにひさしぶりに読破したが、ドストエフスキー作品では、花あるいは植物の名はあまり出てこない.『カラマーゾフの兄弟』で、一家が訪問したゾシマ長老の庵の描写でも、「窓辺には花瓶が二つ置かれ、部屋の隅にはたくさんの聖像画が飾られていた」とあるだけだ。ただ長男のドミートリーとアリョーシャが待ち合わせたとある庭の場面の描写は例外的に具体的な名を羅列している。好きな場面だ.四方の垣根沿いにのみ「りんごや樫や菩提樹、白樺などの庭木が植えてある」庭の隅にアリョーシャは連れて行かれると、『するとうっそうと生いしげる菩提樹や黒すぐり、にわとこ、すいかずらライラックなどの古い茂みのあいだから、たいそう古めかしい緑色のあずまやの残骸のようなものが、ふいに姿を現した」(同書第一巻p.273)とある。ライラックは、『悪霊』でも一箇所出ている.昨年4月のHPの記載を再録する。

◆隣町の習志野市庁舎前で、「植木祭」が催されている。最終日の27日(月)に行ってきた。白のライラックのかなり育った苗が500円で売られていた。躊躇なく購入。庭にあった薄紫のライラックがだいぶ前に枯れてしまっていたので、2代目として大事に育てたいものだ。
 再読したドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のなかで、花の具体的な名称が出てくるところはほとんどなかった。個別の名称が比喩として出てくる場合のほかは、たしか「美しい花々」とか「花束」と表現されているのみである。 『悪霊』の第一部で、美しいリザヴェータ・ニコラエヴナが、街で遭遇したステパン氏のところを訪問したとき、「どうぞ、花束を。いま、マダム・シュヴァリエの店へ行ってきましたの、あそこには名付日に贈る花束が冬の間じゅうそろえてありますの。」(江川卓訳・新潮文庫)とあり、やはり個別の花の名称については触れていない。ところが、このステパン氏なる人物を紹介するはじめのほうの箇所に、個別名のある花が出てきているのだ。
『もっとも彼は、いくぶんか市民的ポーズを気取りたい気持もあって、若づくりにするどころか、ことさら年輩者風を吹かせるほうだったので、例の衣裳をまとって、髪を肩まで垂らした長身痩躯の彼の姿は、どことなく大主教を思わせるものがあった。というより、三〇年代に出た何かの本についていた詩人クーコニクの石版刷り肖像画にそっくりで、わけても夏の一日、庭に出て、咲きみだれるライラックの花陰のベンチに腰をおろし両手をステッキにもたせ、かたわらには読みさしの本など置いて、落日に向いながら詩的な瞑想にふけっているおりなどには、その感が深かった。』(同訳・新潮文庫
 ドストエフスキーにとっても、このライラックの花は親しみがあったのだろうか。ランチのため途中寄った「ビストロ・ポトフ」でライラックの苗を床に置き、店推奨の期間限定・静岡御殿場地ビールを飲みながら、遠く19世紀ペテルブルグのライラックを想ったことだった。(2009年4/28記)

猫ヲ祭ル

猫ヲ祭ル

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のタイワンホトトギス。小川匡夫氏(全日写連)撮影.⦆