曾我物の歌舞伎『壽(ことぶき)根元曽我』を観ている(1970年1月国立劇場にて)

www.nhk.jp

www.nhk.or.jp

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』6/12(日)放送の23回は、建久4(1193)年5月富士野の巻狩りを題材にしているエピソードとのこと。曽我兄弟による工藤祐経への敵討ちの事件であるが、敵討ちに乗じて鎌倉殿も暗殺しようとするテロである。このテロは未遂に終わったが、その後頼朝による御家人衆への粛清について、大河ドラマと並行してBSプレミアム『英雄たちの選択』で、「頼朝暗殺未遂!? 曽我兄弟敵討ち事件の深層」と題して取り上げている。巻狩りの実質的責任者の北条時政がその責任を追及されなかったのはどうしてか、やはり粛清すべきだったのか、歴史家の磯田道史さんが杉浦友紀アナの進行に呼応しながら面白く解説していた。曽我兄弟に巻狩りへの通行切手を渡していたのは、曽我五郎の烏帽子親でもあった北条時政だろうし(ただし『壽根元曽我』では工藤祐経)、時政が鎌倉殿暗殺の謀について何らか知らぬはずはなく、全く無関係とも言えないところがあった、ということ。しかし最高実力者の北条時政を粛清すれば頼朝は強力な支えを失ってしまい、また力を得つつあった比企一族との力のバランスを保つためにも時政を優遇したのではなかったか、と磯田氏。
 さて『壽根元曽我』は、あくまでも曽我兄弟による父河津三郎祐安の敵討ちの物語。江戸時代に盛んであった(二系統ある)曾我物狂言の一つ、元禄10(1697)年江戸中村座で初演された『兵(つわもの)根元曾我』を原作とし、利倉幸一が脚本・演出したものである。国立劇場上演筋書に角川源義の『「曾我物語」と歌舞伎』が掲載されている。

 室町時代以後の芸能の世界で活躍するのは、源義経と曾我兄弟である。判官びいき、曾我びいきという国民的感情によるものであろうか。私はその根元に御霊信仰があったからだと思っている。ともに若くして、不幸な横死をとげた結果、当時者やその裔はもちろん、時代の人々は、その怨霊の活動を恐れていた。これが鎮魂の事業として、霊社仏閣がつくられ、鎮魂供養のため『語り物』が語り出された。『義経記』や『曾我物語』が、こんにち、私どもの眼にするような形のものになるには、ながい歳月を必要とした。

(2代目尾上松緑

(12代目市川團十郎

simmel20.hatenablog.com

空想特撮映画『シン・ウルトラマン』を観た

 6/4(土)千葉県八千代緑ヶ丘のシネマコンプレックス、TOHOシネマズ八千代緑が丘、スクリーン1にて、樋口真嗣監督の『シン・ウルトラマン』を観た。長男父子に合流しての映画鑑賞。1:禍威獣ネロンガ、2:禍威獣ガボラ、3:外星人ザラブによるウルトラマン抹殺計画、4:外星人メフィラスによる、ベータシステムを使用した地球占有計画、5:光の星からの使者ゾーフィは、人類すべてが生物兵器への転用可能であることが知られてしまった以上地球は廃棄処分するほかないと告げ、最終兵器ゼットンを配置、ウルトラマンは闘いで敗北するが、特設対策室メンバーの知力を結集、反撃に成功。
 キャスティングは、ウルトラマン=禍威獣特設対策室専従班作戦立案担当官神永新二:斎藤工、特設対策室同分析官浅見弘子:長澤まさみ、特設対策室同非粒子物理学者滝明久:有岡大貴、特設対策室同汎用生物学者船縁由美:早見あかり、特設対策室室長宗像龍彦:田中哲治、特設対策室専従班班長田村君男:西島秀俊、メフィラス:山本耕史内閣総理大臣大隅泰司:嶋田久作、防災大臣小室肇:岩松了など、怪獣映画ものに相応しい面子が揃った。内閣総理大臣役が嶋田久作というのも笑ってしまう。神永のバディ分析官に、インディードCMつながりで泉里香というキャスティングも面白かったかも。むろん長澤まさみはとぼけた味が出せて魅力的ではある。いちばんインパクトがあったのは、メフィラスの山本耕史NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の三浦義村も、今後メフィラス外星人に見えてしまう。
 音楽担当は鷺巣詩郎で、主題歌「M八七」は米津玄師。音響効果とともに、音の迫力・魅力も映画館での鑑賞ならでは、である。

 映画終了後、シネマコンプレックス近くのイタメシの店パッソノヴィータ(PASSO NOVITA)で夕食を楽しんだ。こちらは、イタリア赤ワイン、コリバンテ・サレントをグラス2杯いただいた。楽しい一日であった。孫のKくん(小4)も物語は大人向けの展開ではあっても、ウルトラマンの戦闘場面多く満足できたとのこと、よかった。

 

(わが所蔵のフジ・アキコ隊員=桜井浩子さまサイン入り写真)

 なおウルトラマンメフィラス星人が一緒に呑みに入った浅草の居酒屋一文は、昔浅草仲見世の玩具の老舗TOYSテラオの先代主人の招待にて呑んだことがある。不思議な縁で、テラオのお嬢様がわが実家向かいの寺に嫁いでいる。

www.asakusa-ichimon.com

www.asakusa-nakamise.jp

 



 

ドビュッシー作曲『ペレアスとメリザンド(Pelléas et Mélisande)』の演出は

 こちらのお気楽なtweetに温かい返答をいただいた森岡実穂中央大学経済学部准教授の専門は、19世紀イギリス小説とオペラ表象分析、それにジェンダー批評で、千葉県立船橋高校→東京大学文学部→東京大学大学院英米文学専修博士課程→ノッティンガム大学修士課程修了、という学歴&研究歴とのこと。わが地元の県立船橋高校出身と知り親しみが湧いた次第。さっそくAmazon経由でご著書の『オペラハウスから世界を見る』(中央大学出版部 2013年3月初版)を購入、『ペレアスとメリザンド』とコンヴィチュニー演出の『エレクトラ』などのところを読んでみた。ヨーロッパでの政治的メッセージ性の強い、作品の独自解釈と新演出について論じ紹介している。戦争については、今日のロシアによるウクライナ侵攻という事態を知らず、また違ったメッセージになるかも知れない。「特に日本における東日本大震災、および原子力発電所事故の問題については、今後数年ではっきりとこれに関する批評的見解とその表象が、いくつもの作品の新演出に織り込まれていくことだろう」と展望している。反近代(資本主義)、反原発の思潮の到来を予測しているのだろうが、今は世界的に原発の必要性が再認識されつつあり、政治的メッセージ性の充満した舞台はどうか。そして昨今の手紙の代わりにスマホを使ったり(『椿姫』とか)、ライブ会場で歌ったり(『カルメン』とか)の新演出も、昔演劇の『桜の園』で、木を切り倒すのに斧ではなくチェンソーを使用させたりなどあった、それほど〈新〉でもなく、ただの〈目くらまし〉ではないかとの観客の側の疑問と不満も生まれるのである。昨年8月に観劇したカロリーネ・グルーバー演出の『ルル』などは、ジェンダー論的メッセージの舞台であった。欧米の演劇・オペラは今後この方向が主流になるのだろうか。

simmel20.hatenablog.com

 第3章の題材は、ドビュッシーペレアスとメリザンド》、ショスタコーヴィッチ《ムチェンスク郡のマクベス夫人》である。この20世紀の名作オペラ2作品については、女性の精神的・身分的な「監禁」の物語として、新しい読みによる演出が次々と生み出されつつある。《ペレアスとメリザンド》におけるドメスティック・バイオレンスに着目したヨッシ・ヴィーラーとセルジオ・モラビト、スタニスラス・ノルデの演出、個性的な舞台装置をフルに利用して、《マクベス夫人》の主人公カテリーナが置かれた閉塞状況を徹底的に描き出したジョーンズ、マルティン・クシェイ、セルゲイ・チェルニャコフらの演出を紹介する。(「はじめに」)

 ここで挙げられているヨッシ・ヴィーラー演出の日本での演劇の舞台は観ている。2005年8月、両国のシアター X(カイ)にて、南北作『東海道四谷怪談』。地下鉄の駅ホームを現場とした幻想的で斬新な舞台であった。

simmel20.hatenablog.com

 演目『エレクトラ』の演出で紹介しているペーター・コンヴィチュニーの演出のオペラ作品では、2008年9月上野の東京文化会館大ホールにて、東京二期会のオペラ公演、アレクサンドル・アニシモフ指揮の『エフゲニー・オネーギン』を、2011年2月に、東京文化会館大ホールにて、東京二期会オペラ公演、シュテファン・ゾルテス指揮の『サロメ』をそれぞれ観劇している。『サロメ』は巨大な核シェルターを出来事の現場とした演出であったが、意外と印象は薄かった記憶がある。

simmel20.hatenablog.com

simmel20.hatenablog.com

www.nikikai.net

✼このコンヴィチュニーへのインタビューの聞き手役が、森岡実穂中央大学経済学部准教授であった。

學びて思はざれば則ち罔し、思ひて學ばざれば則ち殆し。

『独学の思考法』(講談社新書)の著者山野弘樹さんは、上智大学文学部史学科を卒業、現在東京大学大学院博士課程で哲学を研究している。「はじめに」で、『先行きの見えない不安の中で、「新しい生き方」、「新しい働き方」を目指して学習するという姿勢は、ビジネスパーソンをはじめこれからの時代を生きるすべての方々に求められていると言えるでしょう』と述べている。ポンコツ年代のこちらにはあまり「求められて」いない姿勢であろうが、気まぐれに読み進めようか。

 他人の残した足跡だけを追いかけるという思考の様態は、極めて従属的な性格を有しているものです。これは、知識によって思考が支配されている状態であると言えます。こうした状況になってしまっている人の頭を「他人の思想の運動場」(✼『読書について』)と表現したショーペンハウアーの洞察は、まさに慧眼であると言えるでしょう。(pp.36〜37)
 いずれにせよ、先人の足跡を参考にしつつ「自分の足で走る」ことこそが重要なのです。
 なお、ここで私があえて(「歩く」ではなく)「走る」という比喩を大事にしている理由は、「思考力は長い年月をかけて少しずつ訓練されるものである」という信念を私が持っているからです。
「考える」という営みは、想像以上に「知的体力」を必要とします。「考え続ける」という行為は、本当に頭が痛くなるような営みなのです(それはちょうど、走り続けているとすぐに脚が痛くなるのと同じです)。例えば、「相手の話をじっと聞く」ということですら、真剣に行うとけっこう疲れてくると思います。何かを真剣に思考するためには、私たちは必ず日々の訓練を通して「知的体力」を身につけなければならないのです。(pp.38〜39)



 

十三代目市川團十郎白猿襲名興行ようやく実現

www.kabuki-bito.jp

 十一代目・十二代目市川團十郎襲名興行を過去観劇しているので、この秋(&冬)十三代目市川團十郎白猿襲名興行ようやく実現の運びとなったことを慶びたい。どちらも『助六由縁江戸桜』であったので、十三代目襲名の場合もこの演目のチケットをぜひとも押えたい。

simmel20.hatenablog.com

hochi.news

 

貫地谷しほり8月の舞台

www.oricon.co.jp

www.komatsuza.co.jp

 こまつ座公演、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて、井上ひさし作、栗山民也演出『頭痛肩こり樋口一葉』の8/17(水)のチケットを何とか確保できた。貫地谷しほり出演の舞台はひさしぶり、愉しみ。

 

 

与謝野晶子没後80年

 与謝野晶子は1942年5/29に亡くなっているので、本日5/29が没後80年の祥月命日である。亡くなった佐々部清監督の映画『この道』では、羽田美智子与謝野晶子松重豊与謝野鉄幹をそれぞれ演じていた。
 わが庭のユリはもうすぐ開花しそう。

simmel20.hatenablog.com

 

文学フリマ東京開催

bunfree.net

 この暑さの中盛況だとすれば、文学への関心と情熱は社会的に消えていないといえるだろう。