浅羽通明『「反戦・脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』(ちくま新書)を読む

 浅羽通明氏の『「反戦脱原発リベラル」はなぜ敗北するのか』(ちくま新書)を読んだ。丸山眞男花田清輝福田恆存吉本隆明などの(こちらが)個人的にもかつて愛読した思想家の言説を参照しつつ、その形態が〈新しい〉とし「反戦脱原発」デモを支持するリベラル派が、目的を達成することに成功せず連敗しているのはどうしてかを、分析して提言している。「オルグって何ですか?」などの無知な質問に、浅羽氏が応えるという展開形式で構成されている。みずからを「逆立ちしてもイケてないオワコン老害じじい」と自己批評する著者は、安保関連法をも原発をも完全に廃絶を目指すという政治的立場はとっていない。敗北を敗北と認めず、勝つための戦略や展望をもたず、いまと将来の生活の不安こそ最大の関心事である多くの人びととの対決を避けたリベラルでは、欺瞞とことば(表現)の頽廃を生むだけだと認識しているのだろう。浅羽氏が、冷笑的知で警鐘を打つ(※鳴らすの誤り)としている姿勢には、「先達」としての丸山眞男の『「進歩派」の政治感覚』⦅『戦中と戦後の間』(みすず書房)所収⦆の次の指摘がすでにある。学術会議内での進歩派と保守派の「コップの中の嵐」的政治をめぐって、AとBとの対話形式で論を展開している。
A:シニカル云々は一寸保留を要求するがあとは君のいう通りだ。序でに茅さんとの会談でもう一つ付け加えておくと、茅さんが「私もできたらソ連に行って見たい」といったら、外相は言下に「実は私だって行きたい」と応じたんだそうだ。全くどこまで人を食ってるんだか見当がつかないが、存外本音もあるんじゃないかな。ああいう利口な人だからメカニズムに嵌め込まれて動きのとれない現在の立場に対して時には自嘲も湧くだろうさ。それは余談だが、ともかく今度の学術会議では進歩派も何とかもう少し冷徹非情なリアリズムを身につけてほしいね。シニシズムだって観想の立場においてこそ自家中毒を起しやすいが、広い意味での政治的行動者には本質的に必要な属性なんだ。……(pp.582~583)
 著者の面目躍如は、アニメ文化にも通じているらしく、リベラル派を「セカイ系」で「中二病」と決めつけているところにある。面白い。リベラル派は、「バーチャル脳内観念世界」で〈闘って〉いるというわけである。
……彼らは、リアル生活現実世界を生きていながら、バーチャル脳内観念世界をそこへ重ねて日常を送っている。
 バーチャルのほうでは、たとえば平和国家で民主主義の日本が存亡の危機にあるのです。そして、自分こそがその運命を握る戦士=リベラル知識人だと思っている。
 だからエヴァ使徒みたいな敵、たとえば集団的自衛権を容認する政府が繰り出した安保法案などが来襲したら、エヴァへ乗り込んで、もとい官邸前とか国会とかのデモへ参加して闘います。
 だが、個々の勝ち負けは実は重要ではなくて、それらの闘いで日本が「デモのある社会」となり、「われわれが真にこの国の(具体的な)主権者にな」ってゆくという「憲法補完計画」が秘かに進行していて……。(p.141)
「よく反核平和運動などが子どもを使」うことに対する批評も的確である。
……あれは、批判封じですね。小学生の作文に目くじらたてて「頭の中がお花畑」なんて批判を加えるわけにもいきませんから。しかしそれでは、他者からの批判というフィードバックが子どもバリアでブロックされてしまい、修正や成長の機会を見送ってしまうだけです。……(p.158) 
 K.レーヴィットの日本知識人の2階建ての家説を敷衍して、リベラル派の意識構造は「リアル生活現実世界」の1階と「バーチャル脳内観念世界」の2階の2階建てだとし、「全共闘世代の人は定年退職してデモへ参加するにあたって二階へ上がり、はたきをかけてる。古い道具しかしまってないのにね」。なるべく女性論客とは論戦を交えたくないのか、〈賢明〉にも全共闘世代の、それこそオワコンだろう上野千鶴子氏の議論などはもちあげていて、「おいおい」という印象ではある。
「戦争反対を唱える人たち」が、あたかも「七十余年前の日本軍人たちは、もう一度、日本海海戦で完勝するつもりで大艦巨砲主義へと邁進し、戦艦大和の悲劇とともに惨敗」したことの鏡像のように、「この前の戦争に反対してその勃発を防ごうと尽力しがち」であるとの指摘には、感心させられた。「いまや戦争前夜だ」などと言って、なぜか昂揚している文学系老人を思い浮かべてしまう。

 浅羽氏が、沖縄に対して中国とアメリカの二つの強国を巧みに手玉にとって、自立を獲得する過激な戦略を提言している。中国のしたたかさと野心を軽視していよう。アイデアは、花田清輝の『「慷概談」の流行』から採ったとのこと。さっそく書庫(1階!)から同エッセイ所収の『もう一つの修羅』(筑摩書房・1961年初版)を取り出し、はたきをかけた。
 外交家としての勝海舟の経験を述べたところである。文久年間、対馬がロシヤに軍事的に占拠されてしまったことがあった。抵抗を「斬り死」のイメージでしか捉えられない武士にとってはお手あげの状況であった。
……しかし、政治家にとっては、この程度の事態を収拾することくらい、朝飯前の仕事なのだ。勝海舟は、当時、長崎にいたイギリス公使に託して、難なくロシヤの軍艦を追い払ってもらった。そして、「外交家の秘訣は、彼をもって彼を制するということにある」といった。……(p.24)