広電を動かした人たち

 私的旅行で広島へ行ったのは3回ほどだが、どの折も広電を利用して市内を自由に移動した。これを経営するグループのホテルニューヒロデンに宿泊したこともあるが、グランヴィア広島に泊まったときと(駅からの距離は別として)左程利便性の差は感じなかった記憶がある。昔東京の街を都電で移動していたことが思い出され、この路面電車は、旅人には快適で懐旧の想いを抱ける電車である。
 8/10(月)NHKでドキュメンタリードラマ「戦後70年・一番電車が走った」を放送していた。途中から観たのだが、広電のことを思い浮かべながら、最後まで付き合ってしまった。広島被爆の後、電鉄会社の社員松浦明孝(阿部寛)と、電鉄会社の家政女学校で学びながら働く運転少女雨田豊子(黒島結菜)らが中心となって、廃墟の街に路面電車を走らせた物語。黒島結菜は、若いころの満島ひかりを思わせる顔の少女、信念の核のようなものが表情に出ていて好印象。
 http://www.nhk.or.jp/hiroshima/ichiban/midokoro/index.html
          (「NHK『一番電車が走った』」)

 1960年代マイカー時代を迎え、広島電鉄は、路面電車営業に赤字を抱え、撤退・廃止の方向を打ち出したことがあったのだ。これに対して私鉄広電支部は、「路面電車を守る闘い」に取組み、これに勝利し、今日に至っているのである。むろん、採算が取れるような現実主義的な施策とその推進に由った成果であった。この顛末については、労働社会学者河西宏祐氏の『路面電車を守った労働組合』(早稲田大学出版部)に詳しいようである。こちらは未読であるが、山本潔東大名誉教授の「書評と紹介」で概要を知ることができる。
 http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/613/613-07.pdf(「書評と紹介:『路面電車を守った労働組合
──私鉄広電支部・小原保行と労働者群像』」)
 http://www.rengo-ilec.or.jp/report/10-6/5.html(「教育文化協会:『路面電車を守った労働組合――私鉄広電支部・小原保行と労働』」)

 河西宏祐氏の著作は、『企業別組合の実態』(日本評論社・1981年)を所蔵している。「企業社会」ならぬ「労働者社会」屹立の前提条件として、「サボリ」の意識を論じているところは面白い。教育者河西宏祐氏は、千葉大以来「サボリ」を許さない人らしいので愉快である。
……このような、「企業社会」への同化の強要に懸命に抵抗することが、抵抗の砦としての自律的「労働者社会」を構築するための基礎的条件であった。以上の文脈を、読者はむりなく了解してくださるであろう。そうだとすれば、そのつぎの段階として、彼らが、資本の側の望むようなかたちでの労働強化や合理化策にたいしては、〈しんどいのはイヤ!〉〈サボルんですよ、堂々と〉という言動を、〈私たちは労働者です〉という誇らしげな宣言によって説明することは、しごく当然のこととして諒とされるべきではないか。「よく仕事をし、よい従業員であって、よい組合員」たろうとする「企業社会」の「常識」にみずからはいりこみ、たくみに両面のつかいわけをしているつもりが、徐々に資本への批判意識を消失し、「よい従業員」の側面だけが残るという、俗にいう「仕事にまきこまれる」事例は、それこそ無数にみられるではないか。実際、組合員にとっては、その好例としての第二組合員を、日々、目のあたりにしながら暮らしているのだから。
 このように考えれば、「サボリ」の労働意識は、「企業社会」から「労働者社会」を屹立させるための前提条件であった。……(p.374)

路面電車を守った労働組合―私鉄広電支部・小原保行と労働者群像

路面電車を守った労働組合―私鉄広電支部・小原保行と労働者群像