ミヤダイにとっての〈父〉と〈母〉



 10/17(水)寺島しのぶさんがベルリン国際映画祭で、主演女優賞受賞の『キャタピラー』の監督、若松孝二氏が交通事故により亡くなったとのこと。結果的にはこの監督にとって、敵は「東電&原発」であるよりも、自動車文明であったことになる。ご冥福を祈りたい。
 http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20111102/1320226325(「『キャタピラー』は老荘思想」)
 昔東京新宿の蠍座という、実験的な演劇&映画の発表の場であった館(ミニシアター)で、「若松孝二監督特集」の映像イベントが催され、その機会に初期の作品を何本か観ている。あまり映像の記憶が鮮明ではないことから、それほど感動(興奮?)したわけでもないのだろう。時期は多少ずれるだろうが、実験的作品としては、映像作家松本俊夫氏の『薔薇の葬列』、あるいは栗田勇氏の『愛奴』の舞台などのほうが強く印象に残っている。

 ミヤダイ(=宮台真司首都大学東京教授)さんにとって、若松孝二監督は、「父親的存在」といえるほどの大きな存在であったらしい。さてでは、ミヤダイさんにとっての「母親的存在」とはだれかと思案すれば、永く何でも掲載を支援してきた「朝日新聞」であろうか。 

⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家の、シャコバサボテン(クリスマス・カクタス=Christmas cactus)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆