官僚の働かせかた

(わが所蔵の、白水社版『ニーチェ全集』&『ルソー全集』) 
 佐伯啓思京都大学教授の『現代文明論講義』(ちくま新書)は、ニーチェを援用して、現代文明は、統一の崩落、目的の崩落、真理の崩落した、ニヒリズムを特質としているとし、そういう世界での、道徳と政治のあり方について、聴講学生との対話を交えつつ講義を進めるという、サンデル教授風仕立ての書である。
 第4章「民主党政権はなぜ失敗したのか」のところが面白い。まだ、わが千葉県船橋出身の野田佳彦政権誕生の前の議論であるが、有効性に何ら変わりはないだろう。
 政治主導による官僚支配の打破のマニフェストについて、根本的かつ実務的観点から疑義を呈していて、蒙を啓かれた。政策が多岐にわたる現代政治において有効なのは、マックス・ウェーバーのいわゆる「伝統的支配」および「カリスマ的支配」ではとうていうまくいかず、官僚システムをうまく使う「合法的支配」でなければならないということである。つまり「政治主導」は基本的に無理だということになる。
 天下り廃止が主張されているが、利点よりもひずみのほうが大きくなる可能性も考えられる。
『いままでは、出世が限界まで来た五十五、六歳ぐらいの役人は第三者的な機構あるいは民間に天下りしていた。そうすると官庁ではそのぶん若い人を採用できるんですよ。だけど天下りが廃止されると、そういうあまり能力のない人が五十五、六で辞めずに六十まで残る。すると若い人を採用できない。そうでなくともいま、国家公務員は採用を減らしていますよね。もちろんそれには行政、財政の問題もあるわけですが、いずれにしても公務員の採用は厳しくなっています。』(同書p.128)
「問題なのは天下りそのものではなくて、役人が天下り先であまりに多額の給料をもらっていたこと」ということだそうである。なるほど首肯できる。しかし、曾野綾子さんや西部邁さんなんぞの著作を励みに、みずからの人生の自己肯定のみで生きていれば、どの役人も、はじめの志や性格の別なく人相は悪くなるだろう。 
 さらに民意と民主主義に関して、佐伯教授の筆鋒は鋭い。そもそも「政治とは、国民の安全を脅かすような不測の事態が起きたときに、政治家が大きな決断を下すということです」との前提で、「いま、日本の経済は危機的状況に」あるがさて、
『そういう緊急の状況にあっては、もはや民意を反映するとかそんなことに拘泥している場合ではない。政治上の大事な問題に関しては、政治家が自分自身の判断で決断を下して、それに対して全面的に責任を負わなければならない。民意を反映することだけが政治家の仕事であるならば、そういう本当の意味での政治家なんて要らないわけです。』(同書p.145)
 むろん佐伯教授は、民主主義をやめろと主張しているのではなく、いわば宿痾(しゅくあ)としての問題点を指摘しているのである。
「政治主導」の問題については、「東京新聞」9/5号で、元官房副長官古川貞二郎氏は、記者のインタビューに応えて、民主党政権下で廃止されてしまった事務次官会議は、「各省庁のトップへ同時に指示を出し、情報や対処方針を共有するために必要です」。そして官僚には、これまでのあり方について「厳しい反省の上で積極的に行政を推進する必要」があり、志をもって国家国民のために全力を尽くしてほしいと注文している。共感できる。

⦅写真(解像度20%)は、東京都台東区下町民家のアンゲロニア・セレナ(Angelonia Serena)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆