社会学者もいろいろ

 理論社会学の泰斗(たいと)富永健一氏の『社会学・わが生涯』(ミネルヴァ書房)に、第3回SSM調査(日本における社会階層と移動に関する学術的調査・研究)を踏まえての記述がある。
『一九七五年という年は、日本の戦後六〇年(一九四五年から二〇〇五年まで)の広がりの中に位置づけて考えると、そのちょうど中央に位置する。すなわち戦後六〇年は一九七五年で二分されるのであり、中流意識の増加がその一九七五年をピークにして止まったということはきわめて示唆的である。言い換えれば、戦後六〇年のうち前の三〇年間は、自分が中流にまで上昇したと感じている人が大いに増えたが、後の三〇年間は、自分が上昇したと感じている人は増えなくなり、下落に向かったのである。ごく大ざっぱな言い方をすれば、前の三〇年間には日本社会はよくなったが、後の三〇年間には日本社会はもはやよくならなくなり、世紀の転換とともに一挙に悪化した、と言えよう。』(同書p.150)
 このSSM調査の定着については、「日本における計量社会学創始者であった安田三郎さん(故人、当時東京教育大学助教授)は、尾高先生とは独立に、御自身でSSN調査を推進してこられたが、尾高先生の一九五五年SSM調査が終了すると、これを一回限りに終わらせるのはもったいないと、一〇年後の一九六五年に第二回SSM調査を計画されるようになった。これによって、SSM調査が継続される可能性が開けてきた」のであり、第二回が安田三郎氏、第三回が富永健一氏が、それぞれプロジェクト・リーダーとなって、継続発展させたのである(第三回SSM調査報告書は、520ページの大冊)。この安田三郎氏は、わが恩師であって、府立化工→東京工大と、吉本隆明氏と同窓であり、その後東京大学社会学科に入学して社会学の研究者になったという異色の経歴の持ち主であった。吉本隆明さんが、「安田、あれは秀才だった」と語っていたと、人づてに聞いたことがある。
高田馬場のご自宅を訪問したとき、この書に署名をいただき、夕飯をごちそうになった。) 

 富永氏が戦後日本社会のピークとした、1975年の6月に安田先生と、東京新宿紀伊国屋ホールにて、三島由紀夫作『わが友ヒットラー』(石沢秀二演出)を観劇したことを思い起こす。平幹二郎ヒットラー)、尾上辰之助(レーム)、菅野忠彦(シュトラッサー)、田中明夫(クルップ)という文句のないcastingであったが、安田先生は、舞台のできに不満を漏らしたことが、印象的であった。安田三郎氏の兵庫県宝塚での葬儀(こちらは不参列)の折には、富永健一氏が感動的な弔辞を読まれたそうである。

 ドイツ文学の三浦淳(あつし)新潟大学教授の「読書月録2011年」に、社会学(者)について、痛快な記述がある。
  http://miura.k-server.org/newpage1119.htm(「読書月録2011年」)

1)内田隆三 『探偵小説の社会学』(岩波書店) 評価★ 10年前に出た本だけど、大学院修士課程の演習でミステリーをテーマに選んだので、一人しかいない学生と一緒に読んでみたのだが・・・・はっきり言って、こんなの読むんじゃなかったという代物 (付き合ってくれた優秀な院生には申し訳ないことをした)。 東大教授が書いていて、伝統ある良心的出版社から出ていて、こんなにヒドイ本があろうとは・・・・・って、いや、岩波の本だから全部まともなんて思っちゃいませんけど、それにしてもひどすぎる。 中身が全然なくって、わけのわからない空虚な文章を連ねて、あとはベンヤミンだとかフーコーだとか流行の思想家の文章をテキトーにちりばめただけなのだから。 奥付には 「社会理論・現代社会論専攻」 ってあるし、タイトルにも 「社会学」 とあるから、これも社会学者なんだろうな。この欄の下のほうで、上野千鶴子宮台真司を槍玉にあげて、社会学を撲滅せよと書いたら、小谷野敦氏からあんなのは社会学者じゃないのだとご批判を受けたけど、いや、この内田隆三をふくめ、ああいうのが社会学者なんだと思う。だいたい、東大や首都大の教授をやってる社会学者なら、そりゃ日本の社会学を代表しているわけで、少なくとも世間ではああいうのが社会学だと思っているし、もちろん当人もそう思っているのであって、そうじゃない小谷野氏の意見はあくまで少数意見に過ぎない。(略)
2)東浩紀宮台真司 『父として考える』(NHK生活人新書) 評価★★ 昨年夏に出た新書。 結婚して子供を作った宮台と東による対談集。 最初は子育ての話から始まって、後半は最近の社会情勢や文化状況などについて語られている。 ・・・・私の感想を単刀直入に書くなら、「いい気なものだ」 というに尽きる。 ここで二人が語っていることが間違っているとは思わない。 むしろ正しい。 ただし、「今ごろ分かったのかい?」 と言いたくなるのだ。 思うに、この手の文化人ってのは、その時どきの自分の立場に都合のいい言説を振りまいているに過ぎないんじゃないか。 宮台なんか、その典型。 要するに結婚して娘が二人できたからそれに合った主張をしているだけでしょ。 それはだから、彼がここで批判している上野千鶴子と同じなんだよ。 上野が 「おひとりさま」 言説を振り回しているのも、自分に都合がいいからだ。 ここに、社会学だとか社会学者のいかがわしさが露呈している。 彼らがやっているのは 「社会学」 ではなく 「自分学」 なのである。 こんなもの、要らない。 大学から社会学科を撤去しましょう。

社会学わが生涯 (シリーズ「自伝」my life my world)

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社会移動の研究 (東大社会科学研究叢書)

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原典による社会学の歩み (1974年) (原典による学術史)

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⦅写真(解像度20%)は、東京台東区下町民家のアサガオ朝顔)。小川匡夫氏(全日写連)撮影。⦆